春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

雨とワルツ

晴れてバヤンと友達になれた僕だったが、作曲はなんというか楽器の可能性を探る旅でもあった。倍音のやかましさ、演奏時に(とくに左手は完全に)目視できない難儀な構造、意外にアタックが弱くてコード弾きに勢いがない、などなど、ピアノやギターに比べてウイークポイントがある一方で、困難に立ち向かう楽しさもあった。

 

ひとつの突破口がワルツだった。つまりは4分の3拍子、ブン・チャ~~、ブン・チャッチャというやつ。この楽器には打ってつけだった。右手のコードを分解してフレージングすればそれなりに変化をつけることもできる。しかもワルツに乗せる歌は単音節の日本語には合いやすく、無数に作曲したと言いたいが、厳選して5曲くらいは歌を作った。

 

その頃、大型楽器店のお祭りイベントの横で、ライブの縁で呼ばれて休み休み何時間か歌ったことがある。そこで雨が出てくるワルツの持ち歌を歌った。

 

ソロで出た2つ目のライブがこの楽器店主催の対バンライブで、ほとんどが音楽教室の生徒が出演するライブだったが、一般枠もあって応募したら出してくれることになったのだ。当時なけなしの持ち歌3曲のうち、2曲を披露したところ、反応が思いのほかよかった。バンド系よりもピアノやキーボード教室の生徒がライブの主な客層だったから、スタイル的に興味を持ってもらえたんだと思う。その意外な反応のよさに背中を押された。同世代の店員さんたちとも仲良くなって、意味なく店に出入りした時期さえある。

 

お祭りイベントでは出店が並び、ピアノ教室に通っている小学生もたくさん遊びに来ていて、僕が大道芸人にでも見えたのか、お決まりの口あんぐりで見られたものの、なんだかその場所は自分の場所に思えた。最後のワンステージ、最後の曲で雨のワルツを歌っていると、まさか本当に雨が降り出した。通りの見物客はみな店内に入って人通りはなくなったが、若い女性の店員さんがふたり、傘をさしたまま見守ってくれた。最後のサビでワルツに合わせて傘を右上に左上にと振ってくれた、あの笑顔を思い出す。写真のようにその景色は静止画で脳裏に残っている。あれも20年前なのか。

 

この頃、少しずつ作曲の反応が予想できるようになっていた。自分のやりたいことと、楽器の限界や個性と、どんな反応なのかを考えるバランス。似たような曲は作らずいつも前とは違う感じ、を目指していた。音楽のことを考えている時間は楽しかった。時に失敗し、時には成功というか、次の課題への突破を意味する達成感をおぼえることもあった。きっと、それらの積み重ねをキャリアと呼ぶのだろう。