春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

くだらんこだわり

やっかいだなぁ

自分の曲を聴いてくれる人を見つけるのはなかなかの問題だと思う。まずは分母が多くなくては、聴いてくれる人は見つからない。

 

ライブとして最多の観客の前で歌ったのは、地元のテレビ局が主催したアマチュアのライブイベントだ。そのときは完全にノーミス(当たり前だ!)で気をよくし、歌った後のMCとの絡みで勝手にもう一曲歌ったりした。観客は数百人だと思うが、それだけいれば僕のような異色な音楽でも数人は興味を持ってくれたりしたものだ。

 

生演奏ということで言えば、これも同じテレビ局のローカル番組で3週連続で出演したのが最多ということになるんだろうな。僕は25歳だった。その番組は今でも続いている。人気番組だから興味をもってなくてもただ観たというだけなら数万人になると思う。100人から電話があれば次週も出れる。3週出て、最後は短時間に100人みたいな縛りがあったと思う。そこで落ちたが、友人は「3週目だけ何度かけても話中だった。なのに落ちるなんておかしい」と言っていた。まぁ、よく分からない。

 

僕はそのころプロになるという目標を持っていて、それを公言していた。いかにも無理そうなところが良かったのだ。結局その目標に10年を費やしたまま叶わずに終わった。

 

ある時、中学の同級生が東京から僕の住む札幌へ遊びに来た。僕がたまに路上で歌い日銭を稼いでいることを話すと、そんなんだったら東京に来い、新宿で歌え、通りがかる人はここの1000倍だ、分母が違う、などと言う。どうもね。彼は当時、大手の建設会社の社員であった(その後疎遠になったため今はどうか知らない)のだが、若い会社員というのは全部ビジネスに置き換えて話したがる。それは東京も僕の街の知り合いも同じで、そういう話は聞き流していた。プロ?なれる時はなれるでしょうよ。したいようにやるのが一番だ。「~~しないと本気じゃない」的な説教、今も昔も好きじゃない。

 

ところでプロというのはなんだろう?まさかいまどきメジャーレーベルとCD契約を結んでいることだけがプロなのではないだろう。知人の仕事仲間でゲームの曲を作曲している人がいる。その人は音楽でひっそりと食べている。そういうのってどうなんだろう…、などという終わりのない考えを頭の中でぐるぐるとこねくりまわしながら10年間を過ごしたわけだ。ちょっといまその頃の気持ちが蘇った。長い夢を見ていたのだ。

 

なんか今はもうそんなのどうでもよくて、ただもう弾きたい歌いたいってだけで。やっかいですね。早くV-Accordionが欲しい。今でこそできることがあるような気がするけど、どうだろう。自分でもやっかいだなぁと思う。