春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

タイトルとは顔である

タイトルにも性格は出る。いや性格じゃなくて、気分かな。

 

自作の2曲目「蛙の住む家(仮題)」の練習をしていて、2日ほどでどんどんよくなった。「テスラの鳩」よりナチュラルで、弾いていて気分が明るくなってくる。今朝も出勤前に運指の確認だけの練習を数分して、外に出た。明るい日差しの中に朝らしい涼しい空気が漂っていた。

 

歩きながら自然と指を動かしてエア運指しながら自作曲を口ずさんで駅につく。いつもの平日の風景のおでましだ。演説する共産党の人、学生、仕事帰りの水商売の人、無数のスーツを着た男性(以前よりスーツの人は割合が少なくなった気がする)、無数のOL、元気なおばあちゃんe.t.c.…。様々な仕事や用事を抱えたたくさんの人たちが無言で改札を目指す。

 

僕はふと、あの曲のタイトルをもっと外に向けたものに変えたいなと思った。

 

考えてみると「蛙の住む家」というタイトルは世間に背を向けている。曲には蛙に合いそうな水滴がぴちょんと落ちる音を表現したりもしているけど、きっと僕自身が世間に背を向けて作った曲だからそういうイメージだったんだろう。

 

曲のタイトルとは「顔」だ。中身じゃない。つまり中身への期待値なのだと思う。インストゥルメンタルだと余計にそうだろう。タイトルを聞いて、どんな曲だろう?と想像する。だけど「蛙の住む家」と聞いたら、どう思うかな。もしそんな家があるとしたら、それは世間の気忙しさとは隔絶された、ささやかでユーモラスだけど静謐な、誰にも責められない代わりに誰にも愛されない未知の世界なのだろう。そこには「熱」がない。でも、実際に出来た曲はどんどん熱を帯びている。人の心に少なからず明るい影響をもたらすかも知れない。だからもっとふさわしい曲名にしたい。僕よりも先に、僕の作った曲が自然と、人々が住まう世間の方に顔を向けたんじゃないかな。この曲のためにもっと明るい顔にしてあげたい。

 

…と、そんなこんなで考えてるけどまだ浮かばない。謂わば顔のない魅力的なキャラクター。中身はいいんだよ!手前味噌だけどさ。