春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

説明し難い心地よさ

最近、フリマアプリだのハロワだので忙しかった。そろそろ本業に戻ろう。

 

このところブログの筆が進まない。何もやってないというより、何も考えていなかったからだ。日記はやったことじゃなく、考えたことの分だけ長くなる。考えられない原因を考えてみたら、僕の場合はテレビだと思った。

 

僕にも見たいテレビ番組はある(陸王とか、ぶらタモリとか…)けど、見たい番組がない時にまでテレビを流さない方がいい、と気づいたのは、和室にこもった時。テレビのあるリビングと和室の間には襖が二枚あり、普段は開けたままにしている。最近、リビングで連れがテレビを観てようと観ていなかろうと、和室に入り襖を閉めきると、とてつもなく落ち着けると知った。お香なんか焚いちゃうともっと良い。

 

連れには拗ねてるんじゃないかと心配されたけど、リビングのテレビがうるさいというよりも閉鎖された部屋にいる心地よさが強いことを説明した。寝室もあるけどそっちはなんか違う。ベッドがあるからか。そして「まわりを閉め切ったリビング」も言ってみれば閉鎖空間のはずだけど、そこには和室に感じる心地よさはない。どうしてなのか、ちょっと説明し難い。

 

和室にはV-Accordionも置いてるし、干してある洗濯物を積極的に畳もうという気にもなる(これまでは仕方なく畳んでいた)。本を少し読んだり、スマホを見たり、楽器を弾いたり、なにもせずにじっとしたり、考えたり。連れが寝静まった後にでも閉めきった和室に居たりする。無音はいい。僕はぼーっとするのが苦手だと思う。それが得意な人にテレビは合っている。

 

思えば、ひとり暮らしで仕事をしていた時、帰ってきたら自動的にテレビの電源を付けていたのは何だったのだろう。寂しいのか。仕事での姿を脱ぎ捨てて素の自分と向き合うのが面倒なのか。たぶん後者だろう。考えなければいけないことを考えずにいるために、テレビは僕に有効だった。ありがとうテレビジョン。でも今は考えるべきことがある。

 

今は連れとふたり暮らしになった。こうなると、閉鎖的な部屋と開放的な部屋の両方を気分と目的によって選べることが大事になる。だから僕は和室にこもる。