春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

笑顔のありか

改めて自分の演奏動画を見てみるとしっかし笑わない奴だなーと思う。そんな自分を特に好きでも嫌いでもない。自分だなと思う。そして笑わない演奏動画を、いかにも自分らしいと思えてきた。

 

この年になって好かれたいとか気に入られたいという気持ちがなくなった。もちろん面接ではさも自信あり気に微笑んだりできる。愛想笑いである。別にそのことに罪悪感を覚えたりもしない。だって愛想なんだから。

 

僕の亡くなった父も笑わない人だった。父親譲りというわけだ。父と子の写真を見て連れは「親子だねー」と言う。子供の頃の僕の家族写真は、父と僕がムスっとしていて母と姉は笑っている。別に不機嫌な訳ではない。僕も父も微笑んだつもりで人にはようやく真顔に見えるらしい。真顔のつもりなら不機嫌に見える。僕は小学生の時に教師に注意されたぐらいだ、不機嫌な顔をするなと。真剣に聞いていただけだったんだけど、言い返す度量はなかった。父には笑顔の写真がない。

 

そんな父の笑顔を覚えている。まぶたに焼き付いているのだ。いったい何がそんなに楽しかったのか、キャッキャキャッキャ笑っていた。普段見たことのない顔だった。人は笑う時には強いられなくても笑うのだ。僕も時々笑う。主に連れと一緒にいる時だ。連れをはじめ、僕が笑うほどの仲の人には僕の笑顔が焼きついているかも知れない。だから動画では笑う必要がない。笑う時には笑う。僕にしか僕の笑顔のありかは分からない。