春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすLIFE

バヤニストの独り言

音を鳴らせ、思うがままに

仕事の後で今日もぶらりと散歩して帰った。地下鉄の二駅分を歩いて時々立ち止まり、店があれば覗いたりした。なんだか昨日から効率的じゃないことばかりしている。

 

思えば仕事の目的は効率と生産性だけだ。いま物凄いストレスがあるから、仕事が終わった後の開放感が馬鹿でかい。毎日のように何のために働いているのかと考えてしまう。

 

朝起きると、この年で音楽を再開することなんか、まったくもって意味のないことに思え、高価な楽器もたまに触るだけになるんじゃないか、なにやってるんだ?とふと感じてしまう。でも仕事が終わり、いろんな表情をの人々を見ていると、音楽をやりたくなる。知らない人に声をかけたくなる。「居酒屋ーっす!飲み放題!」なんて客寄せをしている兄さんにさえ「一人でもいい?」とか声をかけたくなる気分。そして音楽を奏でたくなる、自分で楽器を操り、音を出してみたいと思う。

 

誰かに好かれなくてもいい、嫌われても一向にかまわない。なのに誰かに話しかけたくなる。不思議だ、この感情はいったいなんだろう?

 

今朝、家を出る時にキーホルダーのサイコロを握る。今日はどんな日になるだろうと。これまでだって、朝にはまったく想像もつかないことが起こった日というのが人生に何度かある(いいことも悪いことも)。みんなにもあるだろう。僕にはあまり時間がない。たのしいことやった人生が正しい。みんな一人では生きていないが、自分に与えられた時間を使えるのは、自分だけだ。そう、この思いを音にしよう。やがてそれが僕を救うまで。

 

今から楽器をやり直していつかライブをやろうなんて、朝にはまるで夢のように思える。だけどいつから、そんなことさえ夢だと思うようになったのか。20歳でロシアに行った僕はほんとうに自分がなにか成し遂げると信じていたし、絶対に自分はすごいことをするぞと感じていた。他の人にはできないことを。なのに今では散歩さえ特別なことに思える。ずいぶん小さくなったもんだ。昔なら完全に知らない場所に行き着くまで、ずっと歩いていられた。歩きながら周りを見ていた。僕と世界の間にはずいぶん遠い距離があって、自分は世界の中で一畳ほどの場所も持てないような気がしていた。今では八畳くらいの場所は持てた気がするが、そこに誰も入れないようにしているようなもんだ。これじゃなにも起こるはずがない!

 

だからまず散歩するんだ。外の空気と一体化する。ヒトという生物ではなく、ひとつの心になる。これを音にすればいいんだ。社会は僕と無関係に進んでいく。年をとれば社会の中に入れるのかと思ったら、そうじゃなかった。税金を払っても選挙に行っても、僕と世界の間にはまだまだ深い溝がある。まるで半音ずれている。僕は社会にかろうじて踏みとどまっているが、それには大して意味がない。どうせならもっと自分でいよう。半音ずれようが一音ずれようが関係ない。音を鳴らせ、思うがままに。そのとき初めて世界に居場所ができる。