春日井ボンのボンかすLIFE

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くだらんこだわり

変わり者なんで

最近、変わり者という言葉を好きでよく使ってる。自分のことも「珍しいですね」と言われたら「変わりもんなんで」と返すつもり。まだ言われてないけどね。ただひとつだけ言える。珍しいですね!と言う人は興味がないか、理解する気がない。そしてそれでオッケー。理解するとは、好意的に知ることだ。

 

若い頃から自分の好みや大事にすることがどうも世間の常識とは違うように感じてきた。それは大体は劣等感から来ていると思ってるが、僕がやりたいことをやろうとすると、必ず「なんで?」という反応が来るのが面倒だった。若い頃はそれでも説明していたけど、もうそれも嫌になった。

 

そういえば、変人だと自称していた時期がある。他ならぬロシアで、留学生のクラス分けのためにロシア人の教師達の前で質疑を行うのだ。僕は大学で会話には役立たない2年間の外国語授業と1年間リトアニア人留学生に金を払って会話の練習をしただけなので、殆ど話せない中で留学した。最初は感嘆詞をすごく感嘆して言うことでしかロシア語でコミュニケーションができなかったのだ。その場ではしかしなぜか「ただ出来ない」だけの印象で終わるのがふがいなくて、ウケそうな単語を和露辞典で仕込んでおいた。その一つが ''я чудак.'' (私は変人です)で、実際それをいいところで言うと、教師たちに変なウケ方をした。まぁ外国人がそんなこと言ったらたしかに変だろう。その後「変わり者は少数派というだけで悪いことじゃないし」などと理屈っぽいフレーズも用意するようになった。その辺も含めて変人と言えなくもない。だけどそう言ってしまうと案外、楽なものだ。

 

今やってる音楽も変わり者というかマニアックではある。アコーディオンだし、ボタン式だし、V-Accordion(デジタルアコーディオン)だし、フリーベースというかコードキーは使わないし、最も説明し難いところはアコーディオン音色を使わないからアコーディオンらしくないこと。いかにもジャズだって言えればまだよかったけど、実際には単にオリジナルのインスト曲しか弾かない人、だ。アコーディオンという時点でマニアックだから後はもう分からん、と言われるならもうどうでもいいけど、僕にとっては全然ちがう。

 

20年前はインストではなく弾き語りをしていた。たくさんのライブに出たが、そこで接した関係者(とくにMCさん)の反応は画一的で分かりやすかった。「~みたいなものね!」「いっそ~しちゃおうってわけね!」と、何かに例えてなんとか言葉にしようとしてくれた。分からなくて興味ないから、そうだよね。そのころ「ジャンル変わってるね!」と言われるたびに「えへへ…マイナーなもんで」というのはなんだか悔しかった。バンドか、弾き語りならギターかピアノじゃないとダメなのかって。懐かしい劣等感だ。今は悔しくはない。

 

実は世の中には変わり者がたくさんいる。自分が知らないだけで「なんでそんなことが好きなの」ということをやっている人がいるんだ。そんな事実を知るとすごく安心する。だからこそ、「~~の良さを知ってもらいたい、広めたい」とか自分で説明するの、個人的には大っ嫌いだ。「これが好きだから」でいいじゃん。それがたまたまマイナージャンルだったってだけでね。アートはそもそも自由なんだから、そのままの姿で発信して受け取り側が判断すればいい。余計なフィルターは必要ない。

 

なんで自分の指向が一般的じゃないんだろうという自意識を捨てるのに20年かかった。僕はいまや凡庸な変わり者だけど、ただ好きなことをやるだけだ。