春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

通り過ぎる列車

何か問題が生じても「いつでも取り返せる、その気になれば」と思って生きてきた。それはまるで線路脇を歩いている自分の真横を通り過ぎる列車をぼんやりと見過ごしているようなものだった。そのうち列車は本数が減り、滅多に通らなくなった。本当はどこかで列車に飛び乗らなければいけなかったのではないか、と今では思う。たまに見かける列車が異様に高速で通り過ぎる気がするのは、列車のせいか、自分のせいか。

 

もちろん珍しく列車に飛び乗ったこともあった。なんなら次に来たら絶対に飛び乗ってやる、と列車が来る前から待ち構えていたことも数少ないがあった。列車はどこに行くか分からないし、脱線するかも知れない。危険を省みずに列車に飛び乗り、うまくいけばそれを操縦でき、自分で行先を決めることができる。そうなる保証はなくても飛び乗った。そして列車に乗らなければ操縦出来る訳はない。きっとゴールのようなものはない。一時的に停車しても、また次へと向かって列車は走り出す。停車駅で降りたら、また脇道を歩くだけの人となる。

 

線路脇はただの時間なのだろう。ここを歩き続けてもどこかで道が途切れているだけだ。一般的に言えば気力も体力もなければ列車に飛び乗るのは難しい。「昔こんなに立派な車輛が僕の隣を通り過ぎていったんだ」と誰に話すでもなく思い出すようなのはちょっと勘弁だが、容易にそういう境地に陥りそうで不安である。