春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

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教授が亡くなった。

 

朝、仮眠の後で半分寝たままで集合ポストに新聞を取りに行き、目に入った紙面を見て力が抜けた。いまどき、新聞でそれを知るなんて、僕は昔の人みたいだ。エレベーターは自分の住む階に向けて上がっているのに、底が抜けてどんどん落ちていくような感覚だった。

 

その後どう仕事したのか覚えていない。SNSやニュース映像に触れて実感が少しずつ湧いたけれど、「違う、そうじゃない」という気持ちもあった。40年近くその作品や姿を追い続けていた人がもういない、ということを頭が理解できない。

 

まるで用意していたかのようにここで教授の音楽の思い出を書く元気がない。ただ生活のすぐ近くにそれはあって、バヤンを再び手に取り作曲をしているここ数年はなんのかんの週に5日は聴いていた。最近はZero Landmineを何度か聴き直したのと、昨日なんておかずを作りながら教授と細野さんの2007年のラジオでの会話を流し聞きしていた。3月28日に永眠されたということはもうすでに昨日は教授はこの世にはいなかったのか。いつかその日が来るということを幸宏さんの時に覚悟したが、もっともっと、まだまだ先なんじゃないかと思っていた。父親を癌で亡くした僕でも、どこかで教授は100歳まで生きるような気がしてた。常に先進的な教授のことだから、手が動かなくなっても脳に電極とか付けて思念だけで作曲するぐらいのことはやりそうだな~と思ってた。

 

わたしたちは巨大な道標を失った。今後はこの世に生きる遺された人たちが(僕も含めて)音楽を作るのだ。あの世に行ったら、その時は教授の新作を聴けるのかも知れない、という期待を胸に。一番大事なことは、教授が作りそうな曲を作るのことを目標にするのではなく、教授がしていたように自分が良いと思った音を紡いで音楽を作ることなのだと思う。

 

 

坂本 龍一 様

美しく刺激的な音楽の数々を届けて下さり本当にありがとうございました

痛みのない世界で、どうぞ安らかに