春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

お肌日記

あごより下の部分がシェービングで傷ついてなかなか良くならない。電気シェーバーにして前よりましになったものの、根本的な改善には至っていない。ということでいっそのこともう剃らないことにした。肌を休ませようというわけ。そして週末にだけ剃る。平日は会社に行って仕事するだけ。ずっとマスクもしているのでまったく目立たないだろう。今で3日ぐらい剃らないままだが連れによるとちょっとよくなったように見えるらしい。本当はツルッと剃りたいのだが…休ませよう。よくなってくれればいいな。

 

Acceptance

今週は平日が4日しかないと分かってるから、いつも以上にやる気がない。仕事の話だ。僕は運が悪い。その代わりに人生の大事なところでは運が良かった。これを何かに守られているのだと言えば、もしあの時守られていなかったら瀕死の重症だったろうということがこれまでに何度かあった。だから普段のどうでもいい、顔をしかめれば済むようなレベルのことではとことん運が悪くて結構。甘んじて受け入れよう。

 

月曜日はとても疲れる。早く寝ることにする。明日のために。あぁつまらない。音楽を聴く時間が減るのは残念だ。

 

楽しみ

少しずつ暖かくなってきた。連れと初めての店にラーメンを食べに行ったが、連れの口には合わなかったようだ。スーパーの帰りにパンとケーキの店で買い物をして、なんとか落ち着いてもらった。

 

日曜日は驚くぐらいに何も考えてない。曲のことはずっと頭の中で鳴らし続けて新しい展開を考えてる。でも考えて出てきたものにいいものはないんだよなぁ。最終部のフレーズも歩いててふっと降りてきたものだし。まぁそれでも考えてる。自分ひとりだけの楽しみ。

 

遊びきった日

やりきった遊びの日。連れと街に繰り出し、出たばかりの給料で服を買ったり上品な中華を食べたり。東急ハンズでアクリル板とアクリルカッター「サンデー」を買い、懸念となっていた冷蔵庫の仕切り板を作った。切るだけなんだけど、アクリルの切り方は変わってる。カッターは切るのではなく両面から表面を削り、三分の一ほど溝が彫れれば圧力をかけてパキンと割る。必要なサイズに切って、前面左右の角も少しカットして30分ほどで完成した。結果は上出来。これまで完全に割れた仕切り板を連れが菜箸とテープで補強していたが重みでつぶれて使い辛かった問題が一気に解消した。これはとても達成感を覚えた。

 

夜、居酒屋で軽く食事をして、話の流れで突発的にカラオケに行った。5年ぶりくらいだろうか。カラオケなんて、笑ってしまう。歌下手になってて面白かった。昔はレジャーがカラオケしかなかった感じがする。遊び疲れたがその後朝5時ぐらいまで起きてた。休みが過ぎていくのを惜しむように、なんとか寝ないでいた感じ。眠くなってから寝るとなんというかすぐに眠れる。

 

記憶を大事に

仕事でコミュニケーション不全のようなことがあったので疲れた。がっかりするほどの期待感もないので、気落ちはいていないが時間が必要だ。傷が癒えるほどの時間が。それが土日の休みだ。連続で休みであることが大事なのでここは譲れない。金曜日は遅くまで起きて色んなものに触れてみる。毎週なにやってんだと思うけど、本当にやらなければいけないことはそんなに多くない。記憶を大事に。

 

試そう

新曲は最終工程として、奏法のチェック。先入観に囚われずに奏法を変えてみて試してみる。トリルを多めに使うようにしているがこれは最近ピアノコンチェルトをよく聴くからその影響だと思う。アコーディオンではピアノほどは使わないはずだけど、使わない訳でもない。アコーディオン特有の奏法で、なんと呼ぶのか知らないが蛇腹を高速で押引してやるトリル様のものがあるが、あれは苦手だ。蛇腹の硬さ(緩さ)はつまみで設定できるが僕は蛇腹が硬いのが好きなのでやりづらい。あれをやるにはある程度、蛇腹は緩くないといけない。でもそれさえも試してみる。採用はしないがいつか使えるかも知れない。僕のやる音楽を好む人は世界に少しかも知れないけどいることは確かなので、僕の音楽としての完成度を高めていけば何かが開けるのだ。だからそのために色々と試そう。

 

創作上の発見

恐らくは一年のうち唯一、9年前に何をしていたかを覚えているこの日、ちょっとした発見をした。いつものようにラフマニノフのピアノ協奏曲を聴いている時だ。作曲に、自分の体験から得た感情をぶつけて、というか表現すればいいのだと。

 

散文とか、脚本とか、歌詞とか、そういうものは体験をそのまま抽出して創作できるものだとは思っていたけど、音楽(歌を除く)は違うと思ってた。つまりどんな体験をしてどんな感情をもっていようがだからと言っていい曲が作れるという訳ではないと。逆に何の特別な体験も感情もなくても美しい曲を作れるのだと。ところが音楽を聴いていて過去の体験やら感情がぶり返すことはよくある。どういうことなんだ?回路の問題だ。自分がもやもやと持っているものを音として表す回路を用意すればいい。それが今できる気がする。

 

僕が好きな和声やメロディーの展開は、四分の一が偶然、四分の三は僕の音楽体験から来ているものだと思ってた。でも、そうじゃなくてどうすれば過去の体験や感情を載せられるか考えたら作曲ができるじゃないか。むしろその方がたやすい。つまり過去の自分が演じているシーケンスのBGMを作るってことでしょ。なんだ、そう考えればよかったのか。なんだなんだ。そういうことか。自分をテーマにすればいいんだ。

 

なんかまだ上手くいえないけど、すごい発見をした。何かが分かった。もっと今度まとめて書いてみよう。