春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

夢を忘れるのにも意味がある

今朝見た夢は稀にみる構成のしっかりしたストーリーのある夢だった。そして夢の中で「あぁそうだったのか!」みたいなカタルシスが確かにあった。僕はいつでも朝まで睡眠がノンストップじゃなく何度か起きてしまうんだけど、あまりに感嘆してメモでも取っておこうかと思った。けどあえて夢日記なんて書かないで、いい映画に出会えた時のように満足感だけを朝まで持ってくのも粋やないか、なんて思って書かないでいたら、結局忘れてしまった。すごく充実してたんだけどな。夢の内容はどうしてか、長く覚えていられない。

 

さて、今日の記事で150個目の記事になる。一日にひとつずつ記事を書いてるのでブログを開設して150日目ということだ。僕は毎日しょうもないことをコツコツ続けるのが得意らしい。

 

V-Accordionを手にしてからはもうすぐ3ヶ月というところだ。今のところ毎日練習してる。よく「1日楽器に触らないと取り戻すのに3日かかる」なんて言うけど、ほとんどのアコースティック楽器で毎日練習できる環境にいる人はそうそういないんじゃないか。吹奏楽部の高校生だって、土日は練習できない。そういう意味では僕が楽器を実際に購入した一番の理由だったけど、ヘッドフォンをつけて自宅で毎日練習できる電子楽器は本当にありがたいし、今はそれ以外、選択の余地がないように思える。

 

20年前はバイト先にある倉庫で練習したり、なけなしのお金でスタジオに通っていた。10kgもする楽器を地下鉄で運んでね。どうしても家で練習したい場合はふとんをかぶって窒息しそうになりながらやった。もちろん大きな音は出せないからストレスも相当あったはずなのに、不思議と「辛かった」という思い出はない。実際、辛かったら音楽やっていなかったろう。今と中身は違うけど、楽しかったのは変わらない。自分が特別だと思えたり、価値があると感じられたりしたのだと思う。仲間とのふれあいも楽しかったのだろう。

 

今はもっと違う意味を感じてる。小さな奇跡が起こせるような気がしてる。いや、もう起きている。作曲し始めてからそれを常に感じてる。特別なことだとは思わない。僕とFR-1xbという組み合わせでの必然なんだろうし、この組み合わせではこういうことが起こると最初から決まっているかのようだ。20年経ってアコーディオンが進化したのを待って、もう一度楽器を始めたのも、意味がある。

 

夢を見るのにも、夢を忘れるのにも、意味がある。そして、夢を思い出すのにも。