春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

無駄について

今日も今日とて、仕事をやりきって帰ってきた。世の中には無駄が多い。でもその無駄が仕事を生んで、僕もなんとか生活費を稼いでいる。だからもう少しその無駄に付き合いますか。仕事後にはそんな気持ちになる。その程度のもんぐらいに思っててちょうどいい。

 

映画音楽

昨日、映画館の話を書いたが、映画音楽は映画以上に好きだ。僕の好きな音楽の何割かは映画音楽だし、自分の曲も架空の映画音楽のつもりで作曲することも多い。特に、サウンドトラックではなく、映画のテーマ曲が好きだ。そしてさらに「有りもの」ではなくその映画のためだけに作られた曲がエンディングに流れるというオーソドックスな映画音楽。集大成みたいなもの。そんな曲を僕は作りたい、演奏したい。最近は小曲とか室内楽とか言ってたけどそんな希望もある。無謀な希望だけど達成したい。映画音楽を、ソロ楽器で弾くという体の演奏。僕にとっては一番魅力的だ。そういうものが出来た時、生きてて良かったなぁと思う。ビールを飲んでも生きてて良かったとは思うが、次元が違う。感慨の深みが違う。そういう喜びを知っているだけ僕は幸せなんだよね。

 

スガイの思い出

札幌にあるスガイディノス札幌中央(ディノスシネマズ札幌劇場)が閉店した。僕は二十数年前、ここで映写技師のバイトを1年余りしていた。あの頃のみんなは元気だろうか。みんなが今の僕と同じような年齢になっているのが想像できない。バイトしてるのか遊んでるのか分からないような時期もあった。でも一人抜けまた一人抜け、みんなで飲むこともなくなり、そして僕も辞めた。映写技師はこれまでに経験した中で1,2を争うほど面白い仕事だった。今のように全自動ではなく、映写機が半自動だったからフィルムを映写機に通すのだ。それを一回終わって次が始まるまでの数分の間に行う。しかしそんな作業が面白いというよりも沢山映画を観れたこと、同じ映画を100回以上観てから発見があったこと(ロングランで印象に残っているのは『Shall we ダンス?』など)、映画の入れ替え前夜、つないだフィルムをスタッフ仲間だけでロードショーしたりしたことなんかが面白かった。給料は安く、生活を向上させるために辞めてしまったが、あの頃のことは今でも時々思い出す。ちょうどバヤンの弾き語りで初めて地元のテレビに出たのも映写技師のバイトをしていたあの頃だった。

 

ありがとう、お疲れ様でした。

 

苦言は口に出すべきだ

令和最大のがっかり事件が起こった。

 

餃子が食べたくなり連れと市内の専門店に行った。全体で15席ぐらいあったが僕らはカウンターから離れた壁際のテーブルに通された。店は満席で入れ替わりも多かったが店主一人で切り盛りしていていかにも余裕がなさそうである。だけど餃子の見た目は僕が好きなしっかり焼いたタイプで期待感をもって来たわけだ。待つこと30分、ようやく食事が出てきたのだが僕らは最大級にがっかりし、連れは「マジか…」と何度も呟いた。なぜか。

 

なぜならその料理は15分以上前には出来ていたからだ。ライスも餃子も出来ていて二人分のお盆ごとずうーっとカウンター前に置かれていたのだ。僕らだけでなくカウンターに並んだ10名ほどの他のお客さんもそれを見ていて、後で連れに聞いたが放置された皿を指差し「これ私たちのじゃないですよね?」と聞くカウンターのお客に「違いますよ」と答える店主とのやりとりがあったらしい。だって餃子だよ。みんな熱々が食べたいに決まってる。その時連れは、頼んでいないザンギ(唐揚げ)が乗っていたから自分たちには来ないだろう、上にいる大家さんだとか内部的に用意しているものだろうと想像を逞しくしていたそうだ。でも僕は確信していた。あの冷め切った餃子が僕らに運ばれるのだろうと。

 

果たして、その通りだった。十分に冷め切った餃子とライス、スープと付け合せのザーサイの定食が運ばれてきた。

 

「ハイ、お待たせしました~」

「(´・_・`) え…これ」

「(゚д゚) あの、ザンギ頼んでませんよ。頼んだので来てないのは水餃子」

「水餃子でしたか、すぐ持ってきますー」

「はぁ (´・_・`)」

 

ほかのお客の内心も想像できる。自分じゃなくてよかったという思いと、「うわぁ可哀想あの2人…キレたら面白いなキレないかな」なんてところじゃないだろうか。僕らはと言えば不安>怒り>諦めという感情を数十分の間に味わった。

 

冷めきった餃子を食べながら、連れが珍しく「帰る時、ひとこと言ってよ」と言ってきた。僕は最初断った。それまでのやりとりから日本語のニュアンスが伝わらないんじゃないかな、言っても無駄だろうと思ったから。でも連れが3度目言ってきたので言うことにした。連れが3回言うことはいつも正しいから。

 

会計の時に店員から「揃えるの遅くなってスイマセンでしたー」と笑顔で言われたので、こう言ってみた。

「熱々のが食べたかったです。あれずっと出来てから出したままにしてましたよね?」

そうすると店員は

「あ?あぁそれは揃えるのがえっと…まいいや」

と説明を諦めてしまった。それ以上は僕らも言わずに真顔で店を出た。

 

それから1時間ぐらい断続的に連れとその話をしたけども、仮にザンギを出すと信じていたとしても少なくともザンギ出来てから10分は放置されていた。あまりに忙しくてテーブル席に持っていく時間がないまま後回しになったのだろうと思われる。餃子を冷めてから出すことがサービス上の大きなマイナスではないと考える文化なのかなとも想像する。

 

それでも言ってよかったと思うのだ。例え伝わらなくとも、自分がスッキリするためには正当なクレームは口に出すべきだろう。お店と客の関係性だからクレームを口にすることでデメリットなどない。ただもう二度と行かないという選択肢しかないのだから。言わなかったらきっと、大袈裟に言えば怨念となるのだろう。こういう時に食べログのネガティブ口コミを書きたくなるのだろうね。口に出すことで怨念を溜め込まず、忘れることが出来るだろう。連れとそう話し合った。

 

と言いつつも結局1日そのことを話していた。本当に小さいことだがそらショックですよ。餃子だもん。冷めた餃子って。以上が僕らの令和最大のがっかり事件(通称:餃子事件)でした。

 

うどん

今週もやり切った。仕事が終わると連れに誘われてうどんを食べに行った。初めて行った店だったけど麺がうまかった。家で作るのとは違うなぁ。その後ずっと飲みたかったタピオカドリンクを飲みに行った、まぁ専門店じゃないからなんとなくな味だけど…。金曜夜はアルコールを飲まなければ結構、自由度が高い。でも1週間で一番飲みたくなる日時が金曜夜だからなぁ。今週はよく耐えたな。家で飲むか。まずはゆっくりバヤンの練習しよう。

 

運指を変える

V-Accordion FR-1xbのボタン配置は5列であって(バヤンで言う5-рядный)、内側2列は外2列と同じ音であり、補助キーとしての役割やアンサンブルでのキー変更などに対応できる。だから内2列を使おうが外2列を使おうが自由で、弾きやすい方を選べばいい。

 

最新曲「Tapestries」の運指を少し変えた。流れの中で弾きやすいというか指の形を大きく変えずに弾ける方のボタンを使えばいい。これによって大分楽になった。運指は重要だ。指のジャンプが少なければ曲の安定度が増す。演奏は指のダンスみたいなものだけど、ダンス自体を見せているのではないから確実な方がいい。ただまだ慣れてなくてまだ以前の動きをしてしまう時がある。これはもう弾き倒して、一度付いた癖を上書きするしかない。同じ部分を10分くらいずっと繰り返し弾く。これが結構効果的だ。こうやることで指が自動的に動くようになる。今はそんな練習をしてる。しかしこの曲はずっと成長しているなぁ。次の曲を作りたいけど、飽きない。人からの評価はともかく僕はこの曲が好きなんだ。

 

妙な夢

妙な夢を見た。僕は医学部の学生で、資格もないのに手術するかしないかみたいな選択を迫られる…というストーリーはどうでもよくて、夢の中で若い僕の、というか実際の若い頃の心根を思い出したのだ。人一倍努力しているが自尊心が高くて総じてちっぽけな人間だった。夢の細部は覚えてないが、ただただ若い頃の考えを追体験することができた貴重な機会だ。

 

起きて出勤の準備をしながら、変わった部分や変わっていない部分をぼんやり考えていた。なんとなく哀しかったが今の方がいいんだろうという結論に至った。暑い日が続いているが今朝はにわか雨が降った。夢のお陰で肩の力が抜けた。どうしたって自分からは逃げられない。だから付き合い続けるしかない訳だけど、いい付き合いができるようにしたいな。