春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

ちっぽけな自分の偉大なこと

ようやくかさぶたが取れた。怪我したのは2月11日だっけ。結局、1ヶ月かかった。階段の昇り降りも問題なくできるけど、いまだに膝立ちすると「イテッ!」と叫んでしまう。せいぜいそれくらい。

 

怪我が治るのをみてると、本当に生きてるなと思う。どんな達成よりもこういう時に思うのだ、まだ生きてるんだと。身体は治ろう、治そうとしてくれている。ちっぽけな自分の偉大なことだ。

 

美しすぎるもの

新曲は細部の練習をした。運指的に厳しいところがあるのだがどうしてもほかで代替できない。かなり厳密に指を動かさないと鳴らせないフレーズがある。しかももっと効果的なフレージングを思いついたが指がかなり難しい。アホみたいに20回30回40回と同じ部分を練習する。それだけやってできるのが数回ぐらい。もちろんゆっくりだとできるけど、もともと早いパッセージだから効果がある。何度でも練習するしかない。今は全体の構成よりこういう細部ばかりをやっている。

 

最近ずっとクラシックを聴いている。好きなものを色々聴いている。しかし、ボロディンイーゴリ公より「韃靼人の踊り」とか、中学生の頃に初めて聴いたおなじみのメロディーだけど、今になってなんだこの美しいメロディーと和声は!と脱力する。美しさには上がある。いつか僕にもたどり着ける日がくるだろうか。こんな、人類の宝みたいなものに。

 

ロイホの人たち

連れと一緒にロイヤルホストに行った。この手のファミレスに行くと、たいてい一生懸命話している人がいる。今日はネズミ講みたいなのは居なかったが、仕事について反応薄い部下に長時間熱く語っている人がいた。連れと思わず耳をそば立ててしまう。そしてこの人はいつかこのままじゃダメだと気付くのだろうかと思う。そんな僕もロイホと言えば連れにカウンセリングまがいのことをされるのがお決まりだったが、傍から見たら滑稽だったかも知れない。まぁ、それは平気だ。

 

タイトルを探しに

本屋に行った。本を買うのではなく、タイトルを探しに行った。

 

新曲のネーミングでいつもどおり悩んでいる。そこで新たな取り組みとして、本屋でタイトル(やテーマ)を眺めていれば何か想像しなかったイメージが湧くのではないかと考えた。きっと何かあるだろう。

 

連れとバスで少し離れた大型店に行き、コーヒーを飲んでから1時間以上、本屋の中を練り歩いた。興味があれば手にとって立ち読み。楽しかったが、結局これだってものには出会えなかった。

 

どんなタイトルになるだろう。今から楽しみだ。こんな感じにしたいというのはあるんだけどまだ書かない。

 

体温が低い

北海道は「緊急事態」。あまりに咳が止まらないので心配になって改めて体温を測ったが35度2分だった。低っ!といつも連れに驚かれる。低いのは昔からだ。体温が低いと寒さに弱いとあるが、だからと言って暑さに強いこととはイコールではないだろう。ちなみに僕はどちらかと言えば暑がりで、寒がりではない。保温できない体質は湿度の高い大阪には合っていたのだろう。でも取り立てて乾燥肌という訳でもないし…よく分からないけど健康に生まれたのはありがたいことだ。遠い場所から両親にお礼を言おう。

 

ブログ開設1111日目

単にゾロ目だということだけど、本日でブログ開設より1111日目を迎えました!まぁなんだ、4桁揃うのは1000日ほどに1回だけだから記念にね。こないだ1100日目を祝ったところだからそこからわずか11日目で大きな変化はない。今日も仕事の傍ら、自分のオリジナルの作曲に没頭している、眠気と闘いながら…。

 

このブログを始めてから、正確にはその約2ヵ月後にV-Accordionを手に入れてからこれまで約3年、音楽活動をしている。やり始めるとその年で…とかは関係ない。演奏も作曲も楽しい。いまのところこれに勝る喜びは思いつかない。だからつまらない仕事でもなんとか続けていられるのだろう。

 

さて次のゾロ目の日、開設2222日目は2023年3月14日だそうだ。3年後ということは自分の年齢は…おっと、気にしても仕方ない。健康で、音楽を続けており、幸せであることを祈る。さぁバヤンを弾こう。

 

曲は聴く人のもの

今日は仕事終わってからも割りと元気だった(代わりに連れが疲れていた)。おかげで夜ゆっくりとバヤンを弾く。細かい部分の修正は続けているが今回の曲もほぼ完成ということで、そろそろ恒例行事の始まりだ。ネーミングである。

 

例によってこの曲がいまの最高曲なので、タイトルは悩むところだ。実はテーマはよく分からない。なんとなく出来てしまった。僕の今の気分が反映されていることは確かだけど、そんな個人的なことをタイトルで表現してもしょうがない。世に出た楽曲は(著作権とかそういうのは別として)作曲者のものではなく、それを聴く人のものになるのだ。タイトルを使ってより影響を与えようとするなどおこがましい。正しいのは、その曲が本来「持っているもの」に名前をつける、というか単に呼び名を決めるだけなのだ。それが作曲者の最後の役割。

 

だがそれが難しい。今回も妥協しないぞ!そしてタイトルが決まるまでは曲は僕だけのものなので、ゆっくりゆっくり編曲して上手に弾けるようにしよう。