春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

土台と装飾

新曲のエンディング部分の展開を一部追加した。これはなんとなく鼻歌でこんなのを追加しようと風呂場で考えたのをバヤン弾いて作っただけ…。我ながら曲の最後の「これでもか!」をあっさり簡単に作れてびっくりしている。しかもとてもよく出来た。もうすぐこの曲は終わる、その最後の最後のプレゼントみたいな。しかもそこだけにしか出てこない。

 

つくづく楽曲って建築物みたいなものだね。土台がしっかり出来上がっていたらデコレーションを付け加えるのはたやすい。土台がなければダメだ。最後の一瞬まで作曲と言えば作曲だが8割以上は土台をどう作るか、みたいなもんだと思う。デコレーションはやりすぎはちょっとみっともないと思うだけ。そして様々なデコレーションもちゃんと統一性があることが大事。つまりはバリエーションでいいので、これもデコレーション(まさに装飾という意味で)の土台が明確になっていればどうとでもできる。土台の構造を作曲者の自分が分かっていればできるし、分かっていなければ作った本人とてそれ以上よくはできないのだ。

 

すべての作曲は鼻歌でいいのかも知れない。特に音楽を主な仕事にしない有名人が作曲を担当したとか言って作曲者にクレジットされる音楽がある。これ本人はメロディーだけ作っててどうせ和声も譜割りも編曲者がやってんでしょ?と思ってるけど、全体の中で鼻歌で作ったメロディーでもそれが曲の重要な土台になりうるものであれば、あながち鼻歌だけで作曲したと言うのも大きな間違いではないのかも知れない。それぐらい土台は大事なのだ。それがよいものであるのならば。