春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

死ぬまで続くらせん

今日も楽しい作曲の時間。曲想が自分で把握できたので、より分かりやすく、より強調し、和声を作り変えていく。楽しいなぁ。面白いなぁ。曲想が分かると、あぁこの曲でこういう雰囲気を出したいんだなと理解して進められる。らしくないところをらしくする。そうすることで曲はまとまりを得る。

 

ふと、前回の曲「Oyasmo」とサビの曲調というか和声の進行が似ているような気がした。同じパターンで曲を作っちゃったかな、と不安に思ったが、すぐにこれは個性なのだと思い直した。だってそうだ、これはいかにも同じ人が作った曲だなぁと感じるから。それは悪いことでしょうか。これを個性と言うのではないでしょうか、と。

 

何も考えないとすぐ使ってしまう手というのはある。理論的には分からないが7thにテンションを持ってきて…みたいな話で説明できるような(よく分かってない)。僕は理論を無視して音感で作曲しているが、理論はすべてを包摂するのであって理論の枠外にいる訳ではない。だから理論上の作曲パターンというのは僕にも存在する。それは悪いこととは思わない。少しずつ新しい曲によってそのパターンを広げたり、変えたりすればよい。個性がないよりもいいことなんじゃない?

 

僕はいわば自分の音楽理論をぐるぐるとらせん状に進化させている最中にあるし、死ぬまでそれは続くのだ。(願わくば常に進化をしていたい)