春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

自粛

平日はコンビニ以外どこにも行かない。自粛という訳だが、別に何も不便はない。スーパーとコンビニとパン屋があれば別にそれでいい。もともと家族(連れ)以外と外食をする機会も年に2回あるかどうかというところ。自粛解除となったことを受けて「カラオケや飲みに行きたい」と答えるインタビューを見てるとリア充なんだなぁこの人と思う。今のままずっと自粛でも個人的にはまったく構わない。しかも以前より可処分所得が増えて、家具などが買えるようになった。ただ僕みたいなのばかりだと経済が停滞するから、あえてカラオケ行きたいなんて人の映像が流れるのだろうかね。

 

スタッカート

そうこうしてるうちに肝心の曲の練習が捗り、朝晩の練習だけで自分のレベルだとかなり完成度が上がっていった。バヤンを弾けない時には口ずさんで曲のグルーヴを感じて、スタッカートとスラーのメリハリをつけたりして、もう殆どやることがないぐらい無駄を削り、「そこでスタッカートにする意味」を自分の中で完全に理解するに至った。

 

練習は十分だ。あとはタイトルなのだが、給料日明けの来週の週末に美容室に行ってそのまま撮影ということにしたら、後10日ほど。この間に思いつくだろうか。もはや「この曲を知らない自分」には戻れないので、考えを変えてタイトルを考えよう。

 

タイトルの悩み

新曲のタイトル案のうち多少いいかなと思ったのがあったが、やはり気に入らなかった。タイトルとしてはありなんだけど、つまらないタイトルだ。曲の背景を示しているけれど、タイトルを見てどんな曲なのか聴いてみたいという勢いがない。真面目な感じなのでつまらない。

 

今回は前作つながりでドイツ語のタイトルになる。自由に合成できるドイツ語だが、だからなのか余計に悩んでしまう。これは日本語で考えて直訳する方法ではダメなのかな。そもそも僕の発想がつまらないのだろう。イメージやビジュアルが浮かぶタイトルにしなくては。

 

いつも横になり、タイトルを考えていると眠ってしまう。そして夢の中で手が届きそうで届かないという気持ちになる。

 

自分にできること

夕方、連れと自転車でカフェに行った。暑くもなく肌寒くもなく、いい塩梅の天気の中、自転車で移動するのは心地よかった。自動車ほど効率的には移動できないけど、身体を使うからか、多少の疲れがちょうどいい。この週末も大したことはせずに、ゆったり過ごせた。カフェでずっとタイトルを考えていて、急に吹き出してしまった。今まさに大変な思いをしたり苦しい人がいるというのに自分はYouTubeで世界中の30~40人しか再生しない環境で発表してるオリジナル曲のタイトルを昼も夜も寝ながらも考えてる、それがなんだか贅沢すぎて可笑しくなったのだ。そう、すごく我儘ですごく贅沢だ。ありがたいとも言えるし、生活費の糧を得ている仕事もとくに減らされたりしていない。苦しい人はたくさんいると思うのに。

 

自分にできることはなんだろう。

 

いい土曜日

朝は自転車で近所のパン屋に食パンを買いに行き、ピザトーストを作る。最近これにハマってる。食パンを表面がやや硬くなる程度に焼いて、ピザソースを塗り、サラミ、ピーマン、チーズを乗せてから焼く。連れが起きると連れにも作る。夕方は連れと歩いてスーパーに買い物に行った。

 

間に何度にも渡って少しずつ、ただ満足するまでバヤンを弾いた。新曲の作曲に集中してる時は過去作の練習が疎かになるので、「1軍」曲の運指を忘れないために一通り弾いた。遠くまで行く必要もない。

 

心戸惑わないように

長い1週間が終わる。在宅なのにこんなに疲れてどうするのだろう。会社に戻らなければいけない日が近づいている。そしたらもっと疲れるだろうな。今回1か月で新曲が完成までいけたのはテレワークだからに違いないのだ。仕事が終わりPCの電源をシャットダウンした次の瞬間からプライベートが始められる今だからこそ、短時間で作曲できたんだろうな。会社に戻る日が来たら、できるだけ頭の中に考える余地を残して生活しなければ今に近いようには生活できない。心戸惑わないように。

 

長い時間

新しい曲を編曲している。もうかなり整った。曲の流れで違和感のある部分を均す、謂わば型にはめる作業。ここまで来ているとかなりもう最後という感じ。基準にするのは「口ずさんだ時の自然さ」である。はっきり言って大分よくなった。まるで最初からそう作ったみたいに自然だ。でも最初から自然なものを作ろうとしたらつまらないものになる。型なんてどうでもいい、というところから和声とメロディーを切り出して整えていくのがいいみたい。まるで、丸太からクマの木彫りを彫りだしていくように。

 

作曲もほかの行為と同じように、数をこなして精度が上がると思う。決して人生で1曲作ったものが大ヒット!みたいなものじゃないと思ってる。それを、自分自身で体験し実感してる。作曲に長い時間をかけるのは無駄じゃないし、必要なものなのだ。よく5分で作った曲が大ヒットというような話があるが、その人が作曲にかけた時間は5分じゃないのだ。それまでの音楽活動や音楽について考えている時間がすべて作曲につぎ込まれているはず。

 

僕もこの曲を作って、いやいつも思うことだけど、生きていて無駄ではなかったのだと感じる。自分でなくてはこの曲は生みだせず、強く自分の存在を感じるからだ。