春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

バヤニストの独り言

昔の日記

昔の日記を読むようになったら終わりだと思っている。

 

僕は小学生の頃から断続的に日記を書いていた。特に高校・大学時代の文量は多い。頭の中がいっぱいだったんだろうか。ある日付を確認したくて、「日記箱」を久しぶりに開けた。目的だった確認の前に手に取ってしまい、いくつか読んだ。そうすると「あの時のことをどう書いたのだろう」、と思い出すようにいくつか読み進めてしまう。30分ほど読んで、これじゃいけないと思って読むのを止めた。

 

昔の日記を読んだ後はぼーっとする。そして無性に悲しくなる。まったく成長していないし、何も変化していないことに。読むんじゃなかった。

 

時間をかけて

とくに作曲の展開は進まなかった。とにかく、急がないことだ。作曲している時は早く完成させたくなるものだが、いいものを作るために時間をかけようと思う。今はいつもの「寝ても覚めてもの」感じでずっと考えているが、ちょっと立ち止まっている。でも週末は時間があるから先を作れるといいな。

 

すでにできた部分は洗練の段階に入っている。シンプル化。何を表現したいのか、違和感のある部分を曲想に合わせて直していく作業。音楽はどんどん「曲」になる。自分もこういう曲が作れるんだ、と気づくのが楽しくてずっと楽器を弾いている。仕事したりスーパーに買い物に行ってはいるが、それ以外は社会と完全に隔絶されている。週末は特にそうだ。今はそういう時期なのだと思う。もっともっと曲を作りたい。

 

曲になる瞬間

新しい展開は4小節しか出来なかった(しかも新しい部分ではなく修正)が、今回の「音楽的アイディア」は曲になった。曲想がはっきりした時に音楽は曲になる。イメージは、近代的ではない環境で、裕福ではない子供たちが踊っているような雰囲気の音楽だと思う。場所はどこだろう。そこはまだ分からない。

 

早くこの曲に集中したいので次の週末に前曲をアップしよう。そのためにはタイトルが必要だがまだ浮かばない…。

 

おもちゃ箱

新しいフレーズの作曲が進んだ。これはヤバい。古典的な形式だなーと思っていたが展開を自由に作っているうちに聴いたことない感じの曲になった。曲にはならないかと思ったがここまで作ると曲の形にしたくなる。

 

やっぱり作曲は楽しい。新しい物が自分の手で作り出される時、時間も場所も超えて自由になれる。楽しくて、すぐ時間が経ってしまう。まだ洗練されてなくて、リズムもフレーズもぐちゃぐちゃして一定しない。頭の中がおもちゃ箱になったみたいに散らかっている。

 

整理

観葉植物を整理した。これまですでに、生きているのかよく分からない鉢を惰性で片付けていなかった。ついでに置き場所を掃除して、前よりシンプルにした。残る観葉植物は四つとなった。

 

昼下がりの陽射しがかなり強くて夏を予感させるが、夜に窓を開けるとまだまだ肌寒い。考え事をするにはいい日だった。頭の中も整理できて、昨日までより頭の中がシンプルになった。やることとやらないこと、やった方がいいこととやらない方がよいこと。それらがはっきりした。

 

うなぎ

心の友たちのリクエストでうな重(うな丼)を出前で注文した。いくつかの店の中からやたらメニューが幅広いそう遠くないそば屋でうな丼と温そばのセットにした。そして到着が早く、量もたっぷりだった。そして安い。心の友たちは大満足で「今後は月イチでおねです」と言っていた。

 

最近、食欲を感じることが少ない。空腹にならないという意味ではなく、色々な物やうまい物を食べようという意識が減っている。平日は朝がりんごヨーグルト、昼がおにぎりと鶏ササミ炒め、キャベツのお通し。夜はうどんなどの米を含まない夕食とキャベツのお通し。冷凍庫にササミが1本ずつラップでくるんで貯蔵してある。それを起床時に冷蔵庫に移動させると夜の仕事後には解凍されている。それを夜、翌日の昼用に料理する。夕食は月~木の平日のうちうどんが2回、「マルちゃん焼きそば弁当」が1回、昼にも食べた鶏ササミの日が1回が定着した。キャベツのお通しはとにかく毎食食べている。うどんは小麦粉不足で秋以降高くなるんだろうな。

 

外食は1年ぐらいしていない。平日はなんというか、うどんとササミとキャベツと水とコーヒーとおにぎりで過ごしている訳だ。出前館のアプリを見ているだけでお腹いっぱいになる。そんな中で敢えて出前を取ってみた。うな丼はとても美味くて、おそばはボリュームがありとにかく大満足だった。心の友たちが喜んでくれるなら月イチで頼みましょう。次は天丼とおそばにするかな。

 

いつもの作風

新しいフレーズを思いつき、10小節ほど作曲した。自分にとっては新しい作風ではなく、いつもの感じではある。だから曲にするかは分からない。でも最近、一人の人間が世界を全部表現する必要はなく、僕は僕の作風のものをいくつもいくつも作るので良いのじゃないかと思っている。音楽の世界でこの人の作品ばかり聞いていたら満足、というものはない。絶対にない。知れば知るほどほかの世界を見たくなる。だからみな自分の作風というものを確立して創作する訳だ。

 

僕は数少ない自分の引き出しでもまだまだ作れるものがあることを知っている。引き出しは増やしたいが、それが主目的ではない。同時に、いつもの自分風であってもやはり初めての和声や初めてのフレーズ、展開は楽しい。楽しい限りはもっと先を作る気になる。