春日井ボンのボンかすLIFE

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バヤニストの独り言

怖くならない宣言

怖いことが起こって欲しくない…と思っていると怖いことが起こる。怖いことなんかないと思っていると怖いことが起きない。なぜなんだろうか。

 

きっと起きることとは、それ自体はニュートラルなただの出来事であって(「ただの出来事でしかない」とは言わない)、怖いと思えば怖いし怖くないと思えば怖くないのだ。怖いとは感情だ。出来事のカテゴリーじゃない。そう考えると、「怖いことが起きませんように」と強く願うことは、実はこの後に起こる出来事を怖く感じます!という宣言なんじゃないか。怖くなる宣言。

 

じゃぁ怖くならない宣言をするにはどうすればよいだろう。さっきの逆だ。逆と言っても「怖いことが起こりますように!」と願うことではない。それは裏返せば、スタートとして怖いことが起こって欲しくないのでその為に敢えて逆を願う(振りをする)に過ぎないので、本心の感情は結局のところ起こって欲しくないのだ。

 

きっと答えは怖いことが起こると想像しないことだ。そう想像するにはどうしたらよいだろう。まず、ゴールは出来事を怖いと感じないことだろう。ゴールから逆算したらいくつかの道のりがあるはずだ。例えば忙しくする。忙しいって「心を亡くす」って書くしね。多忙で思案のリソースがなければ「あ、ここで怖いこと起きたら嫌だな」と思う余裕もなくなるから。でもこれは結果論だな。自然になっただけだ。これを手動で持っていけたら怖いことなんか起きないと信じられるから、怖くならない宣言が出来る。

 

ただ、怖くならない宣言は、怖いことが発生しないはずだという信念ではなく、起こることは怖いことではない(起きる出来事は怖くない)というのが正しい。無風を祈る訳ではない。もちろん出来事の発生を祈るのでもない。起きたら起きてもよい、でもその出来事は怖いことではない(なんとかなるし自分は何も失わない)…と感じること。では「自分に起きる出来事は怖いことではない」と感じるには?

 

僕はある時にそう感じることが出来た。初めて「怖い」ことが起きませんようにと祈るのではなく、起きるなら起きたらよい、それは怖くない、と信じていた瞬間があった。その通り、その後に起こったことを怖く感じなかったから、それは結果的に「怖いことは起きなかった(怖くないことが起こった)」ということが起きた。

 

少し頭が疲れたのでこの辺にしよう。