春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

作曲の入口

最近になってようやく作曲の入口に着いたような気がする。見えた、という程度かも知れない。ここでいう作曲とは和声とかメロディーとかいうこともそうだけど、独奏なので奏法とか表現も含んでの話。よい曲を聴くと、それに影響されて真似するという意味ではなく、なんとなく表現力が広がったように、いろいろ試してみて結果よい表現を見つけてみたりする。ソロでの演奏は作曲の範疇だ。どう弾くかでかなり違う。本当にかな~り違う。よい曲が地味になったり、ちょっとした曲がいっぱしになったりもする。

 

美しいとはどういうことかなぁ。一見美しくないが染み出てくる美しさもあるし、これぞ!という美しさもある。「これぞ」は1曲で使うの1回ぐらいだけどね。美しさについて考えて、それに挑んでいる時は無心だ。時間も空間も越えている。その繰り返しから、美しさが身につくのかも(音楽の話です)。

 

景色で言うと、天国のように美しい湖だけが美しいのではなく、灰色の街も描き方によって美しい姿に見える。だから表現が大事なのだ。すべては捉え方と表現方法なのだろう。

 

と、そんなことに体感的に気づいたから、ようやく作曲という創造活動の一部門において入口に来たのかもと思っている。初めて一段階越えたのかしら、と。楽しいのはきっと、これからだ。