今年から3月28日を個人的な「音楽の日」と名付けることにした。言うまでもなく教授が永眠されたこの日。毎年、教授についての個人的な思い出を徒然に振り返ろうと思う。
教授が亡くなったことを知ったのは去年の4月3日だった。個人的なことを書くノートにその後半年ぐらい何も書けなかった。単に作品のファンであっただけでなく思春期の頃から今に至るまでの長期間に渡ってその姿を追いかけていた、そんな人は他にいない。
去年はしばらく、死ぬということはどういうことだろう?と思ったりもしたが、最近は教授の作品に触れると生きる活力が湧く。生きることでこんな素晴らしい音を作ることができる。もちろん自分にできるかは別だが、そもそも生きて長い時間をかけて突き詰めないと良い作品は生まれないのだ。だから生きようという気になる。
教授の作品のファンであることの唯一のデメリットを考えてみた。それは、新たに知る音楽を評価する基準が高くなることだ。音楽の世界は幅広く、教授は作らないだろうという音楽がもちろん様々にある訳で、次々に色んな曲やアーティストに興味を惹かれるが、結局のところ教授の曲から受けた衝撃に匹敵することは、僕の人生ではなかなかない。無人島にアルバム1枚だけ持っていくならどれだろう。今の気分なら『1996』かなぁ。あぁでもベスト盤じゃないと無理かも知れない…。
道標なき一年を私たちは生きた。もう誰も教授(の代わり)にはなれないが、近づこうと志すことは出来る。恥ずかしながら僕もその一人なのだ。