春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

くだらんこだわり

未熟で下手くそな自分

今日からGW前半の3連休。予定としては新曲の演奏動画の撮影だけで、後は自由だ。いつでも撮れるがまずはゆっくり休もうと、今日は撮影しなかった。というか今の曲を推敲するのをやめたくないのかも知れない。

 

予約していた美容室に行った。いつもより少し間隔を空けたのでかなりボサボサになっていた。誰と会う訳でもないので髪切る必要はないのかも知れないが、でも切るとやはり綺麗になった気がする。今日はAIの進化について雑談した。門外漢なので素人考えだがここ1年ぐらいで様々なものの考えや価値観が変わりそうな気がする。僕がとくに気になるのは創作物についてだ。

 

YouTube辻井伸行さんが教授の曲を弾いている動画があった。教授自身の演奏とはかなり印象が違い、それがとても興味深かった。AIはそれすらも生成できるか?つまり教授風の新しい曲を作り、辻井さん風に演奏する音源を生成する…恐らくできるに違いない。

 

では映像はどうだろう?今はフェイク動画しかできないが、そのうち一から映像を生成することも可能になるのではないか。例えば教授風の新曲を新規で生成し、それを〇〇歳の教授が弾いている映像、というのをAIだけで作れてしまうようなこと。尊敬する作曲家や演奏家の仕事の価値を貶めるようなことをしてくれるな、と個人的に思うが、出来るか出来ないかで言うと出来てしまうようになるのがAIだろう。それがもうこの世に生まれてしまっている。

 

でもAIが生成した演奏や曲は決して、辻井さんがその生涯をかけて体得した演奏でもないし、教授がニューヨークのアパートメントで咳込みながら作った曲でもない。それらしきもの、またはそれらしきものに模したもの。AIもそれを人間の著作物とは言わないだろう。「頼まれたもの、こんな感じで如何でしょう?ぜひ参考にしてみてください」なんて言うのではないか。

 

こうしたことを考えていると、身体を使って楽器を弾いていることに、実はとても意味があるのだと感じる。失敗したり、失敗から新しいアイディアを得たりすること。指がもつれた時の演奏。私たちがもつ感情という魔物。緊張と自信。どこまで行っても未熟で下手くそな自分。それを抱えながら得る僕なりの喜び。

 

AIの進化に制限はないだろう。僕たちには制限も寿命も老化もあるのだが、ずっと考えていたいし指を動かし続けていたい。