春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

やらない革命

毎日バヤンの練習と作曲をやっているが、演奏動画の撮影をする気が起きない。この何か月かずっとそんな感じだ。

 

僕は採譜をしないので自作曲と言えど弾かなくなるとやがて弾けなくなる。演奏動画を撮るのは採譜代わりであって、動画(というか音源)さえ残していれば運指が分からなくなっても耳コピでまた思い出すことができる。YouTubeに公開しているが、フォロワーが欲しい、影響力が欲しいというつもりはさらさらなく、備忘録みたいなものだ。だが出すからにはましな映像にしたいので、撮るとなれば準備がいる。顔面をきれいにして、服を決めて、整髪して、背景布を張り、スチームアイコンでシワを取り(これが面倒)、カメラを設置して、色味調整して、ようやく楽器を弾く。

 

この面倒な作業をするモチベーションは、この曲は残さなければ人に聞いてもらわなければ損失だ、というほどの曲への信頼である。それがない、つまりそれほどの自信がない曲だとやる気が不足する。そして僕がYouTubeの更新をしないと困る人は地球上にはいない、僕以外には。

 

いま完成している曲は20年前に作った曲の焼き直しで、作曲というかアレンジしている段階では楽しかったが、遺すべき曲かというとそうでもない。成果物の数がひとつ増えるだけだが、それが何になろう。いろいろ理屈を並べているが、楽しくないだけだ。ワクワクしない。そうこうしているうちに「撮らなくては」という義務感ばかりが毎週のように積み重なり、ますます撮影が億劫になる。

 

ならば、やらなくていいんじゃないか。My Revolutionとは明日を乱すことさ、と歌われた通りです。ひとまずやりたくないことはやらないことにした。「やらない革命」。やりたくなった時に、やればいいのさ。

 

昼下がりにそう決めてから好きなだけ本を読んで、楽器を弾いた。言うまでもなくバヤンを弾くのが億劫なのではなく、それは毎日楽しい。撮影準備が面倒なのだ。窓の外で陽光を惜しむようにゆっくりと日が落ちていった。