春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

いい曲と自分だけの曲

バヤンで弾き語りをやっていた頃の後期は「いい曲」を作ろうと必死だった。いい曲とは例えば「上を向いて歩こう」のような広範囲の人に響くような歌だろう。その思いが強すぎてちょっと疲れちゃった感じもある。

 

いま曲を作るならそれからも自由に、自分でしか作れない曲を作ろうと思う。

 

あのころは自分らしい曲のパターンというのが出来てしまった時、面白くなくなった。だからと冗談で作った、自分にとっては単純きわまりない曲が「いい」と言われた。ほう、こういうのがいいのか。その曲は自分の代表曲みたいになり、どこでも歌った。とても反応がよかった。そんな歌をもっと作ろうと躍起になったが、それ以降はふーんみたいな…劣化版みたいのしか作れなくなった。

 

一方で作曲自体はできるようになってくるとあれが足りないこれが足りないとばかり思ってくる。弾き語りでは限界がある。あのシンプルさに耐えることは僕にはできなかった。そして僕はやがてバヤンを弾かなくなり、DTMを本格的に始めることになる。そのころの話はまた別の機会に…。

 

いまは電子制御された楽器を、生で弾くということに憧れる。いい曲を作ろうとは思わない。自分の曲を作りたい。どれくらい世界にシカトされるか楽しみなくらいだ。とことん自分でいたい。

 

マチュア音楽の世界にいて思ったことは、音楽理論がよく分かってる人の曲がすばらしいとは限らないことだ。僕は理論は知らない。ただ気持ちいいという音が自分の中にあるだけだ。なんかこう、一体化したい。いまの時間と自分とを一体化させたい。そのための道具なんであって、僕にとってはデジタルアコーディオンスマホと変わらない。そこから発信して、つながるのである。うん、きれいにまとまったけど、相当マニアックな記事だな笑。それでもいいよ。生きてるうちにたのしいことをしようというだけなんだなこれは。