春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

歯医者に通う (8)

今回は今まで一番ハードだった。奥歯の治療は終わったようだが左下2番の前歯を抜いた。レントゲン撮影したところ、先生の見立て通り歯の根元がなく代わりに黒い影が映っている。これがよくないらしく、抜くしかないと。しかし抜くのが大変だった。時間にして5分ほどだと思うが、軽く削った後、引きぬくための棒のようなもの?を刺すのがもう。顎が下に押されるのだが口を開けたままそれに抗するのはしんどかった。なかなか上手く抜けず、何度か刺す作業が入った。ペンチのようなもので抜いたのだろうが、抜く瞬間は短いものだった。このタイミングで抜かずに悪化するとウチの手に負えないので大きな病院で全身麻酔して治療することになる、とか…。抜いた結果、治療できるレベルだったので良かったと先生は言っていた。

 

かなり出血するが血がかぶさって止血になるのでうがいはぶくぶくせず口に含んで出す程度にせよとのこと。明日も来るように言われた。さすがに違和感がある。なんとか食事はできるがあまり楽しめる気分ではない。最終的に義歯が入るのはいつになるだろう。

 

そんなわけで僕は下の前歯近くの歯が一本ない状態だ。マスクが普通の時期でよかった。

夢に比べれば

起きた時に覚えている夢は大体ろくなものがない。夢の中ならば自由にすればいいのに、僕は夢の中でまるで現実と同じようにのっぴきならない状況に陥り不安と恐れでいっぱいになる。こんなことしたら捕まるとか、地獄に落ちそうとか。いったい何を示しているのか。

 

起きた瞬間、仕事への準備に疲れを感じるけど、「さっきの夢に比べればましな人生だ」と思うようになった。夢の中が楽しかったら逆のことを思うのかな。それにしても一体なにをそんなに恐れているのだろう。せめて夢の中でぐらい思いっきり暴れればいいのに、そうはならない。

 

魅惑の替え玉

ネーミングは完全に泥沼に陥り、もはや決まる気がしない。何かきっかけがないと難しい。

 

このところ露和辞典を適当に開いて興味の赴くままに気になった語を見ていくということをしているけど、ところどころ赤鉛筆で線を引いている単語があったりして懐かしかったり「なんでこれを?」と思ったり。これって単語があればYouTubeで検索して楽曲や映画のタイトルで使用されていないか調べる。だいたいタイトルとして面白い単語はドラマなんかで使われてる。そらまそうだよな。ドイツ語は楽でよかった。ドイツ語なら知識がなくても簡単に合成語で造語が思いついたから。もちろん新語を作ることは上っ面の知識ではできないけど、ネットで検索して造語としては存在していて楽曲名には使われてなければそれでOKだから、自由だった。自分が勉強していた外国語だからと言ってタイトルが浮かぶ訳ではないんだなぁ。むしろわずかばかりの知識が発想を邪魔しているのかも知れない。

 

と言いつつものんびりと楽しんでいる。ネーミングが決まるまではひっそりと演奏の練習ができるから。そしてこの記事のタイトルには意味はない。思いついた単語がそれだった。

 

蛇腹問題

V-Accordionのベローズ(蛇腹)の重さ設定を変えてみた。

 

どんなアコーディオンにもベローズの調節器がある。これを回すことでベローズを開閉する重さが変わる。僕はこれまで一番重くしていた。音色の抜けの良さによって違いはあるが、重くしていた理由というのが開閉の「折り返し」の頻度を少なくするためだった。しかし逆にデメリットはその折り返しの際に腕力が必要になることと、細かい表現が難しくなることだ。ちょうどいいところに調整すればいいだけの話なのに、なぜか昔からの癖で一番重い状態で弾いていた。ちなみに最も軽くすると、見た目的にはアコーディオンらしくて面白いけど、とにかく折り返しの頻度と蛇腹を常に動かすことになるので、それはそれで大変だ。

 

これをカチカチと2段階ぐらい緩くして弾いてみた。あら不思議、めちゃくちゃ弾きやすいじゃないか。蛇腹の「戻し」(開ききった状態から閉める動作に転換する)にも腕力がいらないのでこれまで折り返しの際に発生していた間が起こらなくなった。いいことづくめ。こんな基本的なことを疎かにしていたんだなぁ。これもストラップ問題と同じく、適正な設定にすることでミス率は下がった気がする。ppの表現もしやすくなった。本当に基本のキの字といったところなのに、いまさら…とも思うけど、成長できるきっかけを見つけられて僕はうれしい。以前より少しだけバヤン君との一体感が強くなった。

 

信念の深淵

連れがひとりで自転車の旅に出て、僕は4連休の最終日を家で自分だけのために使った。考えなければいけないことを考える時間ができてうれしかった。新曲は名前がないまま、調整も終わって指慣らしの練習のみ。合間に過去の曲を編曲したりした。不思議な時間だと思う。もはやなんのためとかよく分からなくなった。ただ、自分の曲を遺さなくてはという信念に基づいての行動。なぜなら自分の曲は自分しか遺せないからだ。しかも全部遺る訳ではない。よき作品を遺すためにはたくさん作らなければいけない。

 

幼少時から楽器に触れ、死の間際まで音楽を奏でているという音楽家の人生は、よくぞそれほどの長い時間を捧げたものだと感服する。高校時代にバンドやったというのとはちょっと意味合いが違う。長ければ尊いという訳ではないけども長い時間にはそれだけの重みもあるだろう。

 

小さな異変

そういえば先日、僕のV-Accordionのボタン(の鍵盤)が押してもないのに鳴っている瞬間があった。物理的にはボタンキーは壊れていなかったから電子回路的なトラブルであろう。おぉ来たぞ不具合…と思った次の瞬間に鳴りやみ、その後は特に異常はなかった。小さな異変。このV-Accordionがうちに来てから約3年半か。今のところまったくもって不具合がないだけに、ちょっとドキッとした。その後数日もたったが問題はない。電子楽器だからおかしくなることはあるはずだ。時々はそれを思い出すけど、普段は気に掛けることはない。

 

思えば毎日バヤンを弾いている。いつか鳴らなくなる日が来るのか。それまで毎日弾こう。

 

人生初のリーディング・グラス

昨日、連れと心の友と3人で買い物に出かけた。パンクしていたと思った自転車は空気が抜けているだけだと言うことで職人気質な近所の自転車屋でタダで空気を入れてもらった。マンションの駐輪場にもあるがフレンチはたぶん使えないんじゃないか。パンパンに詰めてくれたおかげでまるで空を飛んでいるように軽く自転車を走らせた。今思い出しても心地よい。連れとどんどん走ったのは気持ちが良かった。

 

イオンでろ…、いやリーディング・グラスを買った。人生初だ。DULTONの欲しいフレームのは度が合わない。+1.00でいいのだ。そこで割りと気に入ったのを買ってみた。スマホを見た時点で感動したが、帰宅して辞書を広げてあらびっくり。あの、読めなかった露和辞典が難なく読める!これはうれしかった。新聞もすべての字が頭に入ってくる。これまでは多少ぼけた中で意味に変換してイメージで記事を読んでいたのかも知れない、と思うほどだ。革命ですよこれは。買ってよかった、リーディング・グラス。早く買っとけばよいものの筆頭だ。

 

余談だけど意味もなく辞書を眺めているのは楽しい。関係のないものが同時に瞬時に目に入るからある意味、辞書の方がネットで検索より脳には刺激的だ。でもネットに意味がなくまるで古い勉強法だけが良いみたいなことを言いたいのではない。例えば「〇〇で終わるロシア語」みたいに検索してロシア語のサイトを見つけることが出来るのは、辞書だけでは到底不可能な使用方法だと思う。辞書だけで勉強していたあの頃にこういう環境があれば…とか思ってしまう。

 

いまは意味もなく辞書を眺めている。勉強のためではなく。だからこそ楽しいのかも知れない。