春日井ボンのボンかすLIFE

春日井ボンのボンかすALONE

日本人バヤニストの生活と日々

なんのために?

砂肝と牛バラ肉の串を焼きながら、考えていた。

 

小さい頃から、美しいことを追い求めていた。美しいものには心が躍る。残念なことに僕自身は公平に言って美しく見えないけれど、美しくあろうとしたし、美しいものが好きだった。音楽や絵画をたしなむのが美しさに近づける容易な方法だった。だから音楽をはじめたのだと思う。絵は描けない。

 

だけどロシアでバヤンを始めたのは友達がいなくて時間をもてあましていたからだ。ゲームをするのと同じ感覚だったと思う。それまで、例えば中学生の時に吹奏楽をやってたり、遊びでドラムの練習をしてたりとか、決して音楽と無縁ではない人生だったが、例えばそのころ自分はミュージシャンだと思ったことはない。

 

大学を出てから僕は自分でミュージシャンと言いたがった。それがほんとうになったと言えたのはその数年後だ。

 

僕はそのうちバヤンを弾かなくなった。作曲も音楽もしたいが、それが楽器では表現できなくなった。だからDTMをやるようになる。それはその後数年続き、僕が30歳の時にひっそりと終わった。

 

それから15年経った。いまは楽器が弾きたいと思う。これは作曲の具現化ではなく、もっと身体的な欲求だ。この15年とは、いろいろなものが平気になり、つまり適応度が上がると同時に肉体的な若さを失い、精神的には憂鬱さが増えていった過程だった。

 

いわば、網焼きの串焼きのように脂が落ちて身が引き締まったのだ。過剰じゃなく、足りないものだらけだからこそ味のあるもの。味そのもの。自分自身がそうなりたい。シンプルであること。忘れがたい味。そんなものに、僕はなりたい。

 

若い頃は演奏している自分の姿を客観的に見ていた。分かりやすく言うと、人からどう見えるかが気になっていたんだ。でも今は、自分になにが見えるかが気になる。思えば演奏していてほんとうに楽しかった瞬間は音楽活動をした10年のうち数回で、あとは自分が目立ったりほめられるのが楽しかっただけなのかも知れないな。そもそも自分がいいと思う音を他人が同じようにいいと思ってくれるとは、最初の10曲でもはや思わなくなっていた。

 

どれが正しいかじゃない、どれが良いかでもない。過去を否定してるわけじゃないよ。過去だって、自分でいようと思わなければ音楽は続けなかった。だが自分にはきっと天賦の才能があって、それを表現しないことはもったいない、と本気で信じていた。いまはそんなことはまったく思ってない。つまり自分は音楽をやるべき人間だからやると思ってないのだ。ただ自分がやりたいから、ただ音を出したいから、やるんだ!